巻 頭 言

―古きをたずねて新しきを知る−
理学研究科長  佐 藤   繁

 理学部は2001年9月11日,開講90周年を迎えた。仙台の理科大学,札幌の農科大学の二分科大学からなる東北帝国大学が創立されたのは明治40年(1907年)6月22日である。しかし,実際入学試験を行って26名の合格者を決め,入学式と講義を始めたのは明治44年(1911年)9月11日であったので,この日から起算して90年を経過したということである。
 当時我国には,帝国大学としては,すでに東京帝国大学と京都帝国大学が設置されていた。東北帝大は仙台の地では理科大学から出発したが,ほぼ同時期に九州において急速に諸工業が発展しつつあったことから,九州帝大に工科大学が設置されるのは,ある意味では当然だった。しかし,理学の基盤がそれほど多いとは思えない仙台に理科大学が置かれたことは一見奇異に見えないこともない。しかしこの決定は東北地方の地道で着実な学問的風土や鉱工業が未開発であるという事情も踏まえていたと思われ,その後,基礎と創造性を重視するアカデミズムの確立や実学志向の重視に向かった本学の学問的発展の過程を振り返ってみるとき,非常に意義深い選択であったと言うことが出来る。
 理科大学単独の創設という点から見ると,東北大学では,東京大学に次いで歴史的に二番目に設立されたということになる。当時すでに東京帝国大学には理科大学が設置されていたが,京都帝国大学には,理科大学ではなく理工科大学がおかれていた。京都帝大で理科大学が分離し独立したのは大正3年(1914年)だった。したがって東北帝大では,京都帝大より3年早く単独の理科大学が発足したことになる。本学を自然科学の基礎を学び研究する理科大学から始めたことは,その後の本学の学風の在り方に加えて,理学・理科の自立という点でも画期的な役割を果たした。当時も,理学は実社会に実質的に役立つことが少ないと考えられていたことから,新設の理科大学への志望者も少なく,定員を充足出来るかどうかを懸念されていたほどだった。
 46才の沢柳政太郎初代総長は新聞等を通して,東北帝国大学が9月11日をもって講義を開始することを宣言し,大学の目的は研究教育はもちろんのこと,社会貢献も重要であり,これらについて繰り広げられる東京,京都,東北3帝大間の競争に社会は注目し,比較,批判すべきだと訴えた。その頃の社会の新設大学に対する大きな期待と厳しい姿勢が伺える。これには,当時は,我が国の資本主義の勃興期であり,急成長する企業が人材を求め,高等教育に対する需要が大きくなってきたが,教育システムが対応できず,抜本的組み直しが求められていたという厳しい事情もあったということである。スケールは違うが,法人化問題等,現在日本の大学が直面している厳しい状況と酷似しているように感じられる。創立初期の東北帝大が大きな業績を上げたことは言うまでもない。
 本学における原子核実験関連のルーツは,1935年物理学科の三枝彦雄教授が中心になって建設した200万ボルトのバンデクラフ型加速器の利用に始まったと言われている。RI研究のルーツも同じ頃の時代ではないかと推測される。新しい組織の創設にあたっては,過去現在を問わず様々な困難があり,その後に大きな実りがあることは,多くの事例が物語っている。以来40有余年,多くの先達の努力と苦労が営々と続けられ,様々な困難を乗り越えて昭和52年,理学,工学,医学,生物学等をカバーする総合学際的な学内共同教育研究施設のサイクロトロンRIセンターが設置された。加速器分野とRI分野が有機的に運営される,他に例を見ない特徴的なこのセンターが,21世紀の様々な課題に取り組み,社会の注目と評価を受け,困難を克服しながらさらに大きく成長することを願ってやまない。