目       次

・巻頭言    ― 学 位 雑 感 ―
 東北大学総長  阿 部 博 之
・研究紹介
(1) 原子核分裂機構の解明をめざして
 新潟大学理学部化学科  工 藤 久 昭
(2) イメージングプレートによる岩石の自然放射能分布計測
 東北大学工学部地球工学科  土 屋 範 芳, 武 部 雅 汎
・学内RI施設だより医療技術短期大学部  太 田   温
・平成10年度概算要求について 織 原 彦之丞
・トピックス
(1) 第3回日中原子核物理シンポジウム  織 原 彦之丞
(2) SATIF3  中 村 尚 司
・山屋堯さんを偲んで 東北大学理学部物理  中 川 武 美
・共同利用の状況
・センターからのお知らせ
・研究交流
・RI管理メモ
・組織図
・委員会名簿
・人事異動
・職員名簿
・学生・研究生名簿
・編集後記


巻 頭 言   学 位 雑 感

東北大学総長 阿 部 博 之


  東北大学において博士の名称が改まり,括弧に分野を付すことになったのは,1991 (平成3) 年である。また,今年の1月に英文名が固まった。新しい名称の歴史が浅いだけに,旧名称への郷愁を持いる人も少なくないようにも思われる。

  東北大学は1907 (明治40) 年の創立である。教授予定者の外国留学等の慎重な準備のため,実際に開学したのは1911 (明治44) 年であったが,その翌年には早くも博士が誕生している。林鶴一 (数学), 愛知敬一 (物理学), 矢部長克 (地質学) の3教授で,理学博士である。当時は総長推薦という学位授与の制度があり,これによる学位であった。なお,これらの3教授は,いずれも文字通りわが国を代表する学者であった。   総長推薦の制度は1921 (大正10) 年まで存続したので,理学部 (設立当時は理科大学),医学部 (同じく医科大学),工学部の初代教授の中には,これによる学位が多数生まれたようである。文系の学部は1922 (大正11) 年の設立であるから,この制度の適用は受けていないものと思われる。   一方論文提出による博士は,1916 (大正5) 年が最初で,数学の掛谷宗一助教授 (後に東京大学教授) と小倉金之助助手に理学博士が授与されている。

  小倉金之助先生は,国際的に知られた数学者であったが,むしろ数学教育やさらに思想家として有名であったように思う。当時の博士の価値は,今日の想像を越える大きいものであったが,小倉博士は助教授にも,講師にも昇任しなかった。帝国大学出身でなかったことが理由とされている。小倉先生は仙台を離れ大阪に赴いたが,後年大阪帝国大学の創立の際にも,教授の選から除かれている。本学は,門戸開放の精神が示すように,東京大学の先例にかならずしもとらわれない学風をつくったが, それにも限界があったということであろうか。もちろん上記の理由であったとすればのことである。

 文系の特記事項は山田孝雄教授の学位であろう。先生は国語学の初代の教授である。日本文法の大家で,後年文化功労者になられ,さらに文化勲章も受章されている。先生は東京大学に論文を提出したが, 27年間放置され,東北大学教授に昇進後に文学博士が授与されている。放置された理由は,先生の最終学歴が小学校卒であるからとされているが,真相を正すことは本文の目的ではない。なお論文提出時は,文科は東京大学だけであったため,選択の余地がなかったことを述べておく。   ここで強調したいことは,本学は,山田先生を学歴とは無関係に,帝国大学教授として選んだということであり,このことは,東北大学のみならず,わが国にとっての歴史的快挙であったということができよう。   最近多田等観先生の伝記が河北新報に連載された。高名なチベット学者であったが,東北大学では講師であった。最終学歴が旧制中学卒の所為かもしれないが,本当の理由を知らない。それはともかくとして,小倉,山田,多田の3先生を併記してみると,文系よりも理系の方が形式的であったのかと推測してみたくもなる。

さて近年大学院の整備が叫ばれているが,博士の授与状況はどうであろうか。「教育指標の国際比較 (平成5年版) 文部省」によれば次のようである。なおわが国は1990 (平成2) 年,米国と西独は1989 (平成元) 年のデータである。米国の授与数はわが国のそれに比較して,文系41.5倍,理工系 5.2倍,農学系1.8倍である。西独の場合は,文系11.6倍,理工系 2.2倍,農学系1.4倍である。医系については,制度の違いが大きいので,比較しないことにした。   米国の人口はわが国の約2倍である。それを考慮しても,文系はもちろんのこと,理工系でも半分以下の少数である。   わが国は学術を介して世界に貢献していかなければならない。博士の授与数はもちろん重要であるが,そのためには研究教育環境の抜本的整備が不可欠であることを,重ねて述べておきたい。 1997 (平成9)年4月